2012年1月28日 (土)

なにが嫌かと言うとねえ・・・

だいたいにおいて、人生というものはこういうものか、という見極めがつくまで生きてきても、やはり、今さらながら、時として生きていることに絶望する瞬間があるのである。よくよく考えてみれば、絶望して、生きること自体がうざったいと感じる要因は、それほどバラエティに富んでいるのではない。かなり限られたものであることが分かる。殆どの人たちと共有できることだろうが、それは卑しい人間性と直面し、その影響をもろに受けるときではないだろうか。

勿論、卑しさといっても、いろいろな現れ方がある。しかし、この概念性に限っては、現出の仕方が多様であっても、その卑しさの影響を受ける側は、たぶん、次のような感覚に苦しめられる。強圧的であるがゆえの束縛感、自由の観念の喪失感、自分が属する環境が閉塞していくに従って増していく息苦しさ、これらが抽象化し、概念化された概念性を総称して不条理というのである。僕たちは、このような卑しさがもたらす不条理に直面すると、とても耐え難き気分、感情を裡に抱え込むことになる。心の繊細な人は、適応障害、不安障害、抑うつ症状、うつ病、統合失調症、等々、精神の病のオン・パレードに見舞われる危険性さえある。昨今、あまりに多く頻発するパワハラ、セクハラなどという犯罪的行為の底には、そういうことをやってしまう人間の心の底に沈殿した、卑しさそのものがある。この種の卑しき人間が組織の上層部に居座ると、その組織自体が閉塞し、腐る。決して発展や繁栄は望めない。組織的頽落が現れるまでに要する時間の差異だけの問題であり、凋落の憂き目に遭うこと、必然である。もし、あなたが、こういう卑しき人の下で働いているのであれば、どれほど我慢してもあまり意味がない。危険回避、これのみである。賢い危険回避の方法を考えることが最も重要な課題である。

さて、今日はもう一つ。卑しさの象徴的現れについて語ろう。それをひと言で言ってしまえば、偽善。偽善をなす偽善者のことである。この世界には偽善者という範疇に入る人間があまりにも多い。一見して、人当たりがよい、一見して、優しげな言葉をかけたがる雰囲気の持ち主、一見して、社会的正義を口にするような薄っぺらなヒューマニスト、等々。しかし、こういう人々こそ、自分を守る術に関しては、天才的な嗅覚を持っている人たちだ。逆に言うと、自分にとって不利益になるようなことが身に降りかかると、まさに卑しき心性がもろに顔を出す。誤魔化しようのない醜悪さだ。こういうこととは無関係に生きたいものだが、誰もが例外なく集団の中で生きている以上、ソローの「森の生活」すらたいした模範にはならない、と僕は思っている。

生きていて、楽しかったと思える生涯を閉じたいと思う。これは心底思うのである。あまりにつらきことがあり過ぎた。人との関係性が、人の幸不幸を決定づける最大の要因である。その意味では金などどうだってよい。日本人にはよき言い回しが流通していたではないか。金は天下のまわりもの、というような。それでよいではないか。金の切れ目は縁の切れ目。これもいい。金銭でしかむすびえない関係性など、ドブに捨ててもいいはずだ。ともかくも、残り少ない人生なのだ。これでよかった、と思える生を閉じたいと切に願う。今日の観想として、書き遺す。

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2012年1月25日 (水)

一回性としての生、反復する歴史。

輪廻転生などという訳の分からない妄想でも信じない限り、自己の生とは、一回こっきりの、取り換えの不能の、その意味において、ある種哀愁すら感じる存在、それが、生きるということの実体なのではなかろうか?その上、人生とはあくまで不条理でもある。とりわけ、持って生まれた能力のあるなし、生きる過程における幸運と不運が介在する不公平感。取り返しのつかなさ。同じ生涯なのに、どうしてこうも生にまつわる偏りのある幸不幸が、当然のごとくに肩に覆いかぶさってくるのだろうか?生のどん底に落ち込んだ人間が、どん底(どん底の定義は不可能という前提で書き綴る)たる生を生き抜くことに必要な諦念と、限定的な可能性の中を生きざるを得ないエナジーを獲得するまでに要する、それこそ気の遠くなるような無為な時間の流れそのものを忍耐する気力は、並み大抵ではないだろう。こういう意味合いにおいて、生とはどこまでも人それぞれの、取り換え不能の、一回性たる存在であろう。つまり、人間は、あくまで一個の人間は、取り換え不可能なユニークな存在であるはずだ。

それなのに、個としての人間がかたちづくる集まりとしての人間存在、それを共同体と呼ぼうと、一般に考えやすい国家と呼ぼうと、いったん歴史というコンテキストの中に人の営みを投げ入れた瞬間から、史実的言動、史実としての歴史的事件からユニークさを探し出す方が、かえって難しくなるのはどうしてなのだろうか?「歴史は繰り返す」という卑近な表現は、歴史上の事件をあまりに類型化し過ぎる安易さがあるにせよ、訳知り顔の人間たちの浅知恵、小理屈だけで、ゴミ分別のごとくに歴史的史実を類型化し得るだけの要素が、個が集合体として認識された途端に生じてくる。その一方で「歴史は繰り返す」という視点に立てば、すぐに視えてくる真実がある。それは、歴史とはあくまで歴史編纂をする側の、権力を握っている側にとって都合よき思想が、その底に在るということだ。大河のごとくに悠久と流れる広大な裾野が広がる民衆・大衆・それらの指導者たちのすべての歴史的事実が記述されるわけではない。分かり切ったことだが、一般に云うところの歴史的記述とは、その時々の体制が、広大無辺な歴史的事実の中から、極細とした糸を選り分けて紡ぎ合わせていることと同義語である。

上記のように、歴史における反復は、至極当然のように起こり得る状況ではある。しかし、また、僕たちは案外、歴史の反復の限定されたファクターについて想いを馳せることに慣れていないのも事実ではないのだろうか。繰り返される歴史そのものが、極端な言い方をすれば、創られた歴史の反復なのである。断るまでもなく、「創られた歴史」ということの内実は、歴史の捏造から、歴史的史実の選択のあり方まで、幅がある。しかし、これらを総称して、僕は、歴史は創られると言うのである。また、歴史の反復とは、創られた歴史が単純に繰り返される場合もあれば、反復の過程で、歴史的史実が変質する場合もあるということを意味している、と言いたいだけである。

どのようにあがいても生は一回性でしかあり得ないし、また、そうである方がよい、と僕は思う。インチキなスピリチャルな思想から、生まれ変わりが正当化されるよりはずっといい。下卑たスピリチャリズムが唱える過去世や未来世という思想は、生の一回性の価値を否定するばかりでなく、歴史に名をとどめられなかったル・サンチマンが根っ子にあるように思う。この種の低劣なル・サンチマンを生きる根拠にするくらいなら、権勢の側に立ち得なかった一個の人間として、静かに歴史の塵あくたとして、生を閉じたいものである。いかに矛盾多き世界であれ、リアリズムから目を背けることは、敗北である。そういう想いを書き綴って、今日の観想としたい、と思う。

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2012年1月23日 (月)

素朴に問いなおす!何のために生きるのか?って

物心ついたつきから、今日に至るまで、経験と知識の積み重ねと取りこぼしとを重ねながらも、同じことばかりをずっと考え続けてきたように思う。決して生真面目な気質ではない。それでも人生の折々に、仕事などで夢中になって、その多忙さの中で、多忙さそのものが生の価値か?というような馬鹿げた錯誤に無理矢理陥ろうとしたことだってある。多忙さと煩雑さの、象徴的で、凝縮された場が家庭と仕事場だ。生の価値を半ば自暴自棄的に見出そうとしていた頃の、バカ騒ぎの只中で僕になし得たことと云えば、世の常識に合った家庭人、あるいは仕事人間を装うことでしかなかった。仕事人としてのファミリーマンであるという偽装工作までやってのけたわけで、なんとも表現しようなき自己の本質からの逸脱である。勿論、それにしても、僕と云う人間は、どこかしらに、常道からの踏み外しや揶揄や暴走と云った地雷を抱えたアブナイ存在だったとも思う。人生のどこかしらで、自己破壊のための自爆のスウィチを入れることに対して、常にスタンバイ状態だった。生活人としての失格者が、心の底で呟く言葉とは、オレは何のために生きているのか?という、稚拙で、単純で、また、ありふれた自問でしかない。それを生に対する抗いというならば、少し自虐的にイエスと言うだろう。

文字どおりに自爆し、職業と家庭を失ってからの数年間は、絵に描いたように(僕の場合、こういう表現を極力忌否したいのに、大抵、皮肉にも絵に描いたごとくにさまざまなことが現出するのである)食い詰めて、精神を病んだ。自己の内面からあらゆる自発的な言動が姿を消した期間は、数年に及ぶ。自信も確信も失った。生きることに意味を見出そうという意識すらなくなった。唯一積極的な意思表示とは、自死への希求だけだった、と思う。3度臨界を彷徨い、運悪く生環してしまった。いま生きているのは、そのような結末ゆえに過ぎないのである。To be or not to be, that is a question? No, not at all. Under such circumstances, not to be was my only decision and also my final destination.

47歳から今日に至る約11年を、どうやって生きつないできたのか、自分でもうまく説明し切れないのである。現在の仕事に辿りついたのも意図的なものではない。敢えて表現するなら、気がついたらこうなっていたのである。僕が人さまからお金を頂いて、生きる知恵を授けることが出来るとするなら、それは、生と死の臨界点を彷徨った挙句の果てから視える、生の底の底にあるはずの、生きるエナジーの在り処を教える可能性を持っているということだろうか。誤解なきように。僕は生のエナジーの在り処そのものについて示唆出来るのではない。あくまで、その可能性に対する示唆が出来るだけである。カウンセラーという仕事におけるランクづけがあるとするなら、たぶん、僕は下の下くらいだろう。でも、下の下にしか視えないことだってある。そういう居直りだけが、いまの僕を支えている。さて、ここで自問し直す。僕は何のために生きるのか?と。他者に生きるエナジーを示唆するため?勿論違う。恥を忍んで明言するなら、僕は自己の生を生き抜くために、生きているのである。死に切れなかったのである。そうであれば、無様にでも、行き着く果てまで行き着いてやろうか、というのが、いまの目論見である。その過程で、なにほどか人さまのお役に立てればよいとは思う。ただし、僕は偽善者が大嫌いなので、どこまでも自分のやり方は貫く。勇ましい意図ではなし、偽善的なもの言いはしないつもり、というだけである。それしか出来ないのである。これを読んでくださった方々、すみません。こういうことしか今日は書けませんでした。敢えて、今日の観想として、書き遺しておきます。

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2012年1月22日 (日)

絶対に両親のような生き方だけはすまい、と思ったんだけど。

今日はかなりプライベートな話題を。なにをまともだというのかは、規定するのが難しいけれど、親子関係において、両親に多少のクセがあっても、子どもはそれなりに自立していき、家庭を築き、自分の子どもを授かったら、親も老いてきて、そろそろ親の面倒をどうやってみようか、などと心の隅で考えている。親の終末期に際して、小汚い遺産目当ての目論見があったとしても、親の後始末のことをまじめに考えもする。まあ、普通の親子関係というのは、程度の差があるにせよ、こんなものなのだろうか、と思う。父親や母親に対する嫌悪の情があって、ああはなりたくない、と懸命に思春期以降抗ってもみるが、自分が嫌悪していた父、母と同じくらいの年齢になると、自分もまた、彼らと同種の価値観を後生大事に抱えているのを発見して、ぞっとする、なんてのも、まあ、よくある話。いいでしょう、親子関係なんてそういうものだから。普通はね。

さて、僕の場合。58年前のできちゃった結婚のなれの果て。生まれるはずのなかった僕がいまこうして生きているのは、僕からすると父方の祖父が、20歳になったばかりの、火遊びした結末を抱えたなんにょ(男女とはっきりと発音するよりも、こういう曖昧な響きの言葉がぴったりとするわけです、僕の心境的には)を無理矢理?に結婚させた結果の、どうでもいいような、当事者たちにとってはたぶん、踏んだり蹴ったりの事の収め方ゆえ。物心ついたとき以来、父、母のよき点を見ようと、それなりに努力してきたけれど、どうしても最後に呟く言葉は、子どもが子どもをつくったらいかんよ、っていう類のものだったなあ。

僕が社会で飯が食えるようになるには、かなりの紆余曲折があったけれど、自分の中に、世間で流通している家庭観、親子観、そういう一切合切の世間知が著しく欠落していることに自覚的であったがゆえに、敢えて、自分に抗った。絵に描いたような家庭。しかし、絵に描いたような家庭なんて、なんの魅力もないわけで、どこかの時点で引き裂いてやりたくもなる。僕に関わる人は、女房であれ、子どもであれ、彼らにとっては、いい迷惑なのだが、出来あがったものをぶっ壊したき欲動はどうしようもなく強烈で、成立不能の状況に追い込んだのは、どのような理由をくっつけようと、やはりこの僕その人である。

自分の両親のようにはなりたくはない、という気分、感情が過剰になったのである。自分が構築した職業、家庭生活、そういうものすべてがエセもののごとくに感じられてしまう。ある種の性格破綻者としての僕には、矛盾を抱えつつも夫婦、親子であり続けることの忍耐も、虚偽に耐えるだけの図太さあるいは曖昧さもあるわけがない。当然、壊れるわけである。離婚した元女房に恨まれるだけならまだしも、僕の場合、息子たちにもひどい恨まれ方をしている様子。自分のことを棚に上げて言うならば、ル・サンチマンは、結局生きる力にはならんから、彼らにははやくそういう概念から自由になってほしい、とは思う。存在の根底から抹殺してしまえばいいわけである、この僕を。そうするだけの権利が君たちにはあると、僕は言いたいのだが、こんなところでクダをまくように書き綴るしか手がないのは至極残念。許せよ、息子たち。

さあ、何度目かの(何度目かは書かない。誰も素直には祝ってはくれない再出発だからね)、遅蒔きながらの出直し、である。添い遂げられるかどうかの自信は勿論ない。自信はないけれど、少なくとも、こうは言える。いま、僕は自由である。あらゆる既成概念から自由であって、そういう自由闊達な想いを抱いた上で、やり直しを思い至らせてくれた人生の同伴者である。なんとかなっていくだろう、と思う。老いてなお、いや、老いたからこそ、思想的な柔軟性を獲得する覚悟でもあるから。こういう覚悟は、同伴者も認めてはくれるものだと素朴に僕は信じることにしたからね。がんばります。今日の、というより、人生の総括として、書き遺しておくことにします。我慢強く読んでくださった方々に幸あれ!

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2012年1月20日 (金)

なんとも、萎える現実だけれど、だからこそ光を視ようと思うんだ。

南アフリカ共和国からのレポート番組を観ていて、かなりな衝撃を受けてしまいました。内容は、この国における少女のおよそ2人に一人がレイプされているという事実。そして、それが同じ民族どうしの間で起こっている事件だということ。勿論民族が異なればそういうことも許される、ということではなくて、僕の言いたいことは、同じ民族内におけるこの過酷な現実がかえって悲惨さをかき立てるということを言いたいのです。さらにこの国には、500万人に及ぶエイズ患者が殆ど放置状態にされているということです。勿論この患者数は世界一。とても哀しい記録的数値。国が行政的にエイズ撲滅対策に乗り出せていないので、実際には細々としたNPO法人などが援助しているようなレベルです。少女がレイプされるのは、性のパージニティがエイズを治すという迷盲が底にあり、それが終わりなき犯罪行為を助長しているからだというわけです。

この国はかつて、アパルトヘイトという悪名高き、移住区の絶対的な区切りをしていたところです。Whitesの、Native Africanからの一方的な経済搾取によって、Whitesたちの経済的繁栄が謳歌されていた国でした。世界各国からの批判をものともせずに、民族差別の上にあぐらをかいた、白人至上主義の国として、ずっと粘っこく存在し続けてきたのでした。勿論、被差別者の中から優れた民族解放運動家が輩出してきましたが、彼らは思想犯として投獄され、また殺されてきたのです。ネルソン・マンデラさんが、27年もの長きに渡る投獄から釈放されて、その後、大統領にまでなって、当然のことながらアパルトヘイトはなくなりました。かつては、絶対に足を踏み入れることすら出来なかった首都のヨハネスブルクは、いまやNative Africanたちで溢れている状態です。しかし、このような状況下に立ち至っても、エイズを撲滅できない。それどころか、少女レイプ被害は減るどころか、ひどい例になると、どうせ自分の娘が
レイプされるなら、その前に娘を犯してしまおうという父親さえ出てくるわけです。こういうことを観せられると、教育に力を注がねば、この地の男性優位社会というか、女性を人間扱いしない人間観はいつまでも南アフリカ共和国の発展の妨げになります。なにより、被害を受ける個としての人間が、自分の生に多大な負の要素を背負うハメに陥りますから、教育の普及は絶対不可欠な課題でしょう。

しかし、教育といっても難しい課題でもあります。たとえば、Native Africanにおける女性蔑視も彼らの民族(たとえ、それが古めかしい因習のなれの果てだとしても)における価値観から来るものです。ここに宗教的な土台が付け加わるとさらに面倒なことになります。たとえば、イスラム圏における女性蔑視の思想は、宗教的な裏付けがあるからこそ成立するものです。これは存在としてかなり手強い。さらに云うなら、近代の教育の普及によって、チャドルを脱ぎ捨てた女性もたくさんいる一方で、イスラム原理主義による過去の宗教的戒律への回帰がはじまってもいます。イスラム原理主義に対して、その宗教的理念について、僕などなにを云うべき立場ではありません。けれど、人間が生きる指標ともなり得る宗教が、その根底のところで、男女の存在価値を決定づけているということは、どう控え目に見ても不合理としか考えようがありません。

昨今、グローバライゼーション(globalization)などという言葉が一般的に喧伝されるようになりました。しかし、こういう概念もある意味誤魔化しがあります。グローバライゼーションとは、あくまで経済活動をより円滑にするための、表層的な理念でしかありません。より正確に、僕なりに規定すれば、それは理念ですらなく、ある種の技術論です。したがって、グローバライゼーションからは、いかなる意味においても、人間が、人間のための、人間による世界的で、普遍的な価値を産み出すことなど出来ません。もはや古きに失する感はありますが、かつてのコスモポリタニズム(cosmopolitanism)という概念が、21世紀における世界的な、普遍的な平等主義的価値意識を産み出す可能性に満ちた思想ではなかろうか、と思うのです。それは、国家体制、民族主義、さまざまな思想の位相の違いを認めながらも、究極的な個としての人間に対する尊敬のまなざしを思想化するものです。言うまでもなく、個としての人間を思想の原点に据えるのですから、男女差も、大人と子どもという差異も、各々の特質にしたがって、認め合う思想なのです。この思想のベクトルは、意図せずとも、人間社会へのあらゆる裾野までも拡がっていくベクトルを内包するのです。どうでしょうか?僕にはかなり現実的な有効性ある発想ではないか、と思えるのですけれど。今日の感想として、書き遺しておくことにします。

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2012年1月16日 (月)

裡なる保守性から自由になることが、すべてのはじまりだろう?

ここで云う保守性とは、自分が、いま、ここで、生きている状況、時代、それらが創り出す価値観を鵜呑みにして安穏としている精神性のことだ。このような性向は、人の個性の違いや教養の程度とはまったく無関係である。人は誰しも、保守主義から自由になろうと意図すれば、かなりなエネルギーを必要とするものだろう、と思う。大切なことは、たとえば多くの人間が自分の生きる環境に対して息苦しさを感じていたからと云って、ただそれだけで裡なる保守性を唾棄したくなるか、というとそういうものではない。少なくともこのような人間の性向について自覚的になる必要くらいはあると思う。

無論、人が複数寄り集まれば必ずその中に優劣が生じるように、社会、国家レベルでものを見るならば、権力やそれにともなう利権を独占しようとする層の少数の人々が、大衆を繰るという構図が出来上がる。大衆を弾圧・抑圧する強権的な社会機構ならば、まだ自分が誰に、何に、抑圧されているかが見えやすいにしても、自由とか民主主義という概念が当然のごとくに流布している社会では、大衆操作の方法が、巧妙に、そして淫微なかたちをとっているために、その実体がなかなか見えないのである。

とはいえ、人と云うのは、そもそも安寧を求める存在であるという資質が、保守主義を生み出すわけだから、少々の不条理に対しても、ノンとは言わないのである。より正確に言うと、言えないのである。それが人間集団のそもそもの本質的なありようだという認識に思い至れば、現代社会における政治・社会機構の不条理・不公平・不平等に対して、僕たちはかなり鈍感で、それが他国のことであれば、まず、対岸の火事くらいの認識であり、発達しすぎた感ありのメディア報道に対しても、民衆のノンの堆積には繋がらないのも頷ける事実だろう。

確かに、人は目の前の現実、目の前の生活を保持するのに忙しい。たとえ、そこに大いなる不公平や不満や、またそれの総体としての不条理があるにしても、自らの生活を底支えしている社会体制を変革することになかなか目が向かない。人々のこのような心性をよく識り知り尽し、利用するのがその時々の体制を創り出した少数の権力者及び、擬制者である。 

僕たちにいまできること。情報というものが、たとえ国家レベルで操作・規制出来るにしても、その一方で国家機密に属することでも僕たちは手にすることが出来る時代である。アホウな政治家たちや、情報操作のお得意なマス・メディアの言説を疑ってかかること。テレビの情報番組で解説者として登場する学者たちのほとんどはウソをついている。たとえば福島原発における多種多様な利害関係の絡んだ政治家、学者、評論家たちの言説のお粗末さを想起しようではないか。まず現代において、良心的知識人という定番のイメージは持たないのが賢明である。原発をどうするか、消費税の引き上げをどうするか、という喧しい話題も、僕たちはあくまで市民の立場で、生活者という認識を大前提にして考えることである。僕たちは中途半端な物知りになる必要はない。また、マスコミの情報操作にのっかって、素人政治家になる必要もないのである。政治を操る擬制者ではないから、表層的な情報で、国家レベルの決断を安易に出す必要はないのである。あくまで生活人として、生活人の視点から見た社会のあり方だけを考えればよいのである。そうであれば、国家レベルの問題を政治家に託すという場-選挙-を放棄して、素人政治家が天下・国家を論じることのアホらしさにも気づくだろう。

さて、締めくくりに、保守性から自由であることの意味。それは保守性とは、一般に考えられているように、単純に生活を守ろうという立場からの思想ではないということだ。人が保守主義に陥る場合、自分の生活の足場を見失っている場合が殆どではないか、と僕は思っているのである。生きる場としての生活の現場からの思想は、決してスマートではなかろうが、それだからこそ、真実が視えるというものである。他国と比較して間接税たる消費税が低いということと、自国と他国の生活のありようとが結びついた上での、消費税議論になっているのかどうか?福島原発が崩壊して、放射能に日本中がおかされているというのに、原発再開がその一方でなされることの意味を考えるべきではないのか?忘れることなかれ!放射能汚染は、福島近隣の土地や空気だけではない。海に垂れ流されたそれが魚を汚染しているというのは、日本中に放射能汚染が広がっているということだ。福島近隣の海どころか、魚は汚染されたまま、海流に乗って日本中を遊泳しているのである。西日本の魚が安全だという妄想など無意味だろうに。沖縄の普天間基地問題は?新しい防衛大臣は、辺野古の基地建設をはじめるなどと言い出した。また、沖縄は見捨てられるのか?自分が住んでいる近くに米軍基地があって、頭の真上を飛行機が轟音をあげて飛びかうとしたら、いったいどうするの?米軍基地があって、そこで飯を食っている人々、原発で飯を食っている人々、利害はいろいろある。でも、利害だけが先行したら、生活人たる僕たちの日常が結局破壊されるのである。現行の利害に縛られない制度や仕事や行政をつくるのが、政治だ。プロの政治家だし、それを支えるのが、プロの官僚なんだろう?あらゆることを根本から考え直そうよ!

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2012年1月13日 (金)

2001/9/11について、いま、想うこと

オサマ・ビン・ラディンを指導者とするアルカイダの同時多発テロリズムの、最も大規模で、悲惨だったのがニューヨークの世界貿易センタービル破壊だったでしょう。ドキュメンタリ―番組を僕は観て、あらためて感じたことを書いてみます。

現在、あの破壊し尽くされた跡地には、さらに巨大なビルが建設中だとのこと。そして、9・11の後の、グランウド・ゼロには、アメリカ国内はじめ、世界各国からたくさんの人々が訪れているのだそうです。当然ガイドが必要になりますが、ボランティア・ガイドが200人以上もいて、毎日忙しい日々を送っているとか。彼らは、9・11の被害者の家族か、あるいは、9・11に何らかの深き関係を持っている人々です。ボランティア・ガイドと云っても、長い経験を持っているので、みなさん、それぞれにプロのガイドなど及ばないほどの説得力があります。なにより、彼らは、事件の当事者なのです。当然と云えば当然です。淡々と、あるいは切々と語る彼らの語り口には、見学者たちに、事件当日の臨場感を否応なく示してみせます。見学者の誰ひとり不満を感じている様子はありません。

あの事件で妻を亡くしたというボランティア・ガイドのおじさんは、おおざっぱですが、貿易センタービルに働く人々の日常をパネル写真を見学者たちに見せながら、説明しているのです。たとえば、100何階だかにあった高級レストランは、ニューヨークっ子たちが大切なお祝いごとをするための欠かせない場であったとか、あの事件の年が、レストラン設立以来ワインの売り上げ高が最高だったとかです。また、別のガイドさんは、自分の息子さんが、株のトレーダーとして、貿易センタービルで働いていたときの写真を胸に抱いて、息子さんが、いかにすばらしい仕事をしていたか、を説明しています。また、ガイドさんたちは、みなさん、破壊される前の貿易センタービルが、どれほどニューヨークっ子たちの生活と密接に関係していたかについて説明することを欠かしません。見学者たちは、それだけニューヨークの人々に馴染みのある、大切な場を瓦解させたことの重大さを再認識するというわけです。

こういう場面の中にニューヨーク大学の知的な女教授が登場して、9・11の意味を、感傷的な要素を剥ぎとって分析していきます。同時多発テロにおける犠牲者は、3000人近く。貿易センタービルでは、2600名以上です。彼女はあくまで冷静に、知的に解説します。彼女の話の中で特に僕が興味を惹かれたのは、命を失くした人々は等しく犠牲者であるはずなのに、その中で差別化が起きているということ。救助に向かって命を落とした消防隊員たち、警察官たちが英雄として位置づけられ、その他の人々は、テロの犠牲者として一括りされていることの意味について語っているのです。確かに、殉死した消防隊員や警察官たちは職務のために粉骨砕身したけれども、その他大勢の人々もそれぞれが、職務中に命を落としたことにおいては同じ次元で捉えられなねばならないし、ましてや、ハイジャックされた4機のボーイング機の乗員・乗客もすべて同様に職務中に命を落としている犠牲者なのだ、と。あるいは、視点を変えて、果たして貿易センタービルが、ニューヨークの人々の生活にとってなくてはならないほどの存在だったのか、と。あのツィンタワーが建設されてから、景観を壊す建物だという批判が多かったことも、すべて消えてなくなっていることの意味。そして、さらに世界史的規模で見て、アメリカという国のこの事件が、アメリカ国内で感得されているほどに、世界の人々がアメリカに対して同情的であり得ることを私たちはしてきたのか?と。こういうことを深く考えなければならない時期に来ているのだ、とも。なるほど、と僕は思ったのです。

僕の観想ですが、9・11までに、アメリカ政府が中東に政治介入したことの意味を考える必要があると思うのです。あるいは、その後のアフガン紛争やイラク戦争への軍事的介入について、です。「民主化」によって、中東をテロの温床から救うといい、強烈な政治介入をしてきました。アメリカほど、利権の絡んだ本音を、正義という理念で覆い隠して他国に政治干渉してきた国は他に例をみないのではないでしょうか?無論、9・11は起こってはならないことでしたが、アメリカが「民主化」という名のもとに、他国の数えきれないほどの無辜の市民を爆撃で殺してきたことも、決して忘れてはならない現実ですし、消し去ることの出来ない歴史的事実です。ですから、アメリカはじめ、西欧先進国(日本もこの片棒を担がされています)の軍事介入によって、殺された多くの他国の市民たちと、9・11の犠牲者とは同じ次元で考えられなければならないのではなかろうか、と僕は思うのです。さらに云うと、アメリカが実業よりも、経済工学という手段で、幻想的な金のやりとりで儲けるための象徴的な場が、あの破壊された世界貿易センタービルです。あそこには、既述しましたが、たくさんの虚業としての金融トレーダーたちが働いていました。いまとなっては分かりませんが、あの世界貿易センタービルの惨事が、アメリカの経済的破綻の象徴的事件という、単なる歴史の皮肉なのか、はたまたこういうことにすら意図的なテロリズムの結末なのか?どうなんでしょうか?

オサマ・ビン・ラディンがオバマ大統領の命令によって、殺されたあくる日に、お父さんか、お母さんかを9・11で失くしたお嬢さんが、「オバマがオサマを殺った!」というたくさんの人々のかけ声の中で、笑顔でデモを呼びかけている姿を観て、なんとも表現し難い気分になりました。ほんとうは、世界の市民という立場でものを考えれば、テロの報復合戦など必要ないものなのに、政治を繰る人々が介在した途端に、物事は複雑に、また、どうしようもないエゴが生じてしまいます。国益というエゴです。僕たちはひとりひとりが取り換えのきかない各々の日常を生きているのです。なんとか、こういうエゴイズムから自由になりたいものです。心底、そう思いました。今日の観想です。書き遺しておきたい、と思います。

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2012年1月11日 (水)

僕が、いま、ノン・ポリ(non-political)でいることの意味。

僕が青年期を過ごしたのは、’70年代。ノン・ポリと言われるのが恥だった時代。政治・社会的な諸問題に対する自分なりの考え(と言っても、殆どの場合、確固たる思想があったわけではなくて、著名な誰それの言辞のものまねだ)がなければ、体制を無批判に指示する保守的なガリ勉(なんで体制保持者がそのままガリ勉だという論理になるのかはよく分からないが、たぶん当時の左翼運動の最先鋭の思想の一つに、大学解体という、マス教育に対する反対の論理としての、極度に飛躍したスローガンがまかり通っていたからだろう、と思う。そういう大学を無批判に受験するのか!というわけだろうな)と蔑視される憂き目に遭うことになったのである。無論、それでも勉強一筋という青年たちもいたのだから、世の中、どのようなことが起ころうと一括りに論じることなど不可能なのだろう。

僕のような気弱な人間が、当時の時代的風潮の中で、ノン・ポリであることなど出来るはずがなかったのである。当然時代の趨勢にのっかって、分かったようなことを口走る。しかし、実際のところ、大学解体と云っても具体的イメージがあるわけでは毛頭ないし、ヘルメットにサングラス、顔にタオルという出で立ちだけで、その場しのぎをやっていたに過ぎない。しかし、実のところ僕はマルクス・レーニン主義に関わる書を読みながら、おもしろくないとも思っていて、ボードレールの頽廃した美学とも云うべき散文詩に魅惑され、ランボーの天才性に憧れ、スタンダールやバルザックやフロベールの作品群に惹かれ、ブルジョアの代表格みたいなフランソワーズ・サガンの繊細で優美な小説にとりつかれていた。ロシア文学なら、理屈なく評価されるドストエフスキーよりも、トルストイがすばらしいと思ったし、日本文学なら、白樺派の作家たちがかなり好きだったりもしたのである。映画だって小難しいフランスものよりも、単純なプロットのアメリカ映画が大好きなんていう、単なるお調子者だったと云える。無論、無骨な仲間たちには内緒で読みふけり、エルビス・プレスリーの何ということもない古い映画を観ていたのである。しかし、そういう芸術作品のジャンル以上に、当時の極左運動の蔑視の対象は、市民運動家たちだった。考えてみれば、実におかしな話だ。政治体制を揺るがすならば、より大きな、そしてより柔軟な発想で、その場限りの考えで動く(と、当時は大衆を本音のところでは侮蔑していたのだから、極左が自滅していくのは理の当然だろう。日本に極小的に思想を統一するようなことが起きなかったのは、当時の国際情勢がそうさせなかったこともあるが、何にせよ、思想的な右・左を問わず、よい意味での?ヘタれな日本人の性向ゆえだ、と思う)大衆を仲間に引き入れるだけの魅力がなければ成立しない政治運動だったのに。

それにしても、人がいかに創造的な諸活動(もし、そこに政治的活動や、その結果の誤謬が含まれるにせよ)をなし得る存在だとしても、例外なくありふれた生活時間がついてまわる。それを日常性と称するならば、僕たちは、日常性を凡庸なものとして唾棄するような精神性へとなだれ込んではならないのだろう、と、いまは思うのである。市民運動家が偉いのは、彼らの中に、つまらない人々がまじっているにしても、フツ―の日常生活者たちがある種の政治的な諸活動に参加出来て、また、同時にフツ―にそれらに飽きて、もとの生活に立ちもどって行く、という行動規範を認めた上で、絶望することもなく、淡々と社会的情勢に応じた運動を組んでいくことだ。そして、その時々の運動理念をきちんと日常語で語り聞かせることが出来るということだ。そもそも思いつめた言動ほど、自己にとっても他者にとっても、怖いものはないのである。政治的、思想的ラディカリズムから生み落とされる価値ある、普遍的なものなどない。かつてのベ平連(べトマムに平和を!市民連合)の活動の良し悪しについては議論の余地があるにしても、指導者であった小田実も鶴見俊輔も偉いのである。小田も鶴見も特に小難しいことを言っているのではないが、彼らの考え方の中核には、気の変わりやすい、気もそぞろな日常生活者たちの精神の領域を、明確に捉えた上での、思想的強靭さが備わっている。

青年の頃、市民的理念などどこかに置き忘れたような言動に明け暮れていたけれど、僕は仲間に知られることなく、特に小田の著作を貪るように読んだ。なんで、ものを考えない、考えたところで長続きもしない、日常生活者などを視野に入れられるのだろうか?こんなゴツクて逞しい男が、何で市民運動なんだろうか?と、当時眉に唾をつけながら読み続けたが、眉唾だったのは、実は僕たちの方だったのである。それは、小田や鶴見が日常性の中で、粘っこく思想を強固にして、世界がどのように変わっても、柔軟に立ち向かい、実践を決して抜かすことなく生き抜いてきたことが、それをよく証明しているではないか。残念なことに小田は早過ぎる死を迎えたにせよ、である。小田実や鶴見俊輔が紡いだ思想は、これから先の歴史の中に埋もれることなく、しぶとく生き残っていくことだろう。また、彼らの著作を読み継いでゆく市民が確実に存在するだろう。遅まきながら、僕はノン・ポリという立場を、市民の目線で捉え返したい、と思っているのである。今日の観想として、書き遺す。

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長野安晃

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2012年1月 9日 (月)

思想の柔軟さ・曖昧さ・忍耐強さ

僕は、一見柔和な顔をし、柔和な言葉を口にする人をあまり信用しないことにしている。人間関係の殆どの要素とは、まずは、表面的な感じのよさ、悪さ、という評価軸があって、それをもとにして、ああ、この人はいい人、あの人は付き合いにくくて難しい人、などという評価が下されることが多々あるものだ。<一見柔和な顔をし、柔和な言葉を口にする人>の中には、実は結構怖い人が含まれている可能性がある、と僕は思っている。こういう人たちを一まとめにして、考え方が柔らかだ、などと評してはならない、と敢えて言いたいのである。この種の人たちの中には、要するに、自己の思想に対しても、他者への目配りにしても、かなりいい加減なものしか持ち合わせていない人々が含まれているものだからである。思想が曖昧な人は、その現れ方がたとえ柔和に見えても、底に猛毒のごときファクターを抱え持っている可能性が強いし、また、何よりも怖いのは、曖昧さを柔和さや柔軟さと錯誤していることだ。こういうことが最も大きな価値の錯誤であり、問題なのではなかろうか、と思う。

話が飛躍しているかも知れないが、実は、僕は以下のようなことが言いたかったのである。つまり、こうだ。

人間の思想の曖昧さが、昨今、世界中で問題になっている排他主義の根底に在る要素だ。世界経済が沈滞化している。そうすると弱小民族や移民に対する風当たりが強くなる。労働市場からの締め出しが公然と行われ、たとえば、ネオ・ナチなどの風潮が、若者たちの鬱屈した精神を惹きつける。ノルウェーで起こったネオ・ナチの青年による移民の大量虐殺は記憶に新しいが、この種のジェノサイドから、人間が歴史上、自由になった試しがないのも現実なのである。ナチズムというと、ヒトラーやヒトラーを支えた高官たちの狂気をイメージしがちだが、しかし、見逃してはならないのは、ヒトラーのナチス党が政権をとったのは、あくまで合法的であったということだ。当時のドイツ国民がヒトラーを選挙で選んだのである。戦後のナチス狩りを指示した人々の中にもかつてのナチス党員がいる。戦後の、一見平和な空気の中の、親切な隣人の中に、ナチス党員が潜んでいたし、そういう連綿とした思想の曖昧さを残したまま、それが現在の数多くのハーケンクロイツ信奉者の、屈折した精神性を抱いた若者たちへと引き継がれているのである。

こう書いたからと云って、僕はドイツ批判をやっているのではない。ネオ・ナチなどは、排他主義の一つの系譜に過ぎない。思想の曖昧さという点においては、日本も例外ではない。いや、日本こそが、曖昧さという意味において、罪深き要素を多分に抱えている。たとえば、かつて南京虐殺に代表されるように、中国や南方の島々で、非戦闘員の人間を平然と殺した、いまはおじいちゃんになっているはずの人々が、明るい笑顔を振りまいて、隣に住んでいるのかも知れない。あるいは、実の祖父である可能性もあるだろう。この種のことは世界中に例外なくある。

しかし、漠然とこのようなことを考えて、絶望的になると、価値の座標軸が入り乱れて、何が正しいのかが分からなくなる。結局、物事は、突き詰めても仕方がないので、曖昧なままに捨て置かれるというハメになり、悪しきことが払拭されず、歴史は、この種の連関運動を繰り返すことになりかねない。じゃあ、僕たちはどうすればよい?

具体的に言う。多くの人たちが、現代の政治家がバカだと言い、政治家など何をやっているのか、わからないと言う。政治家なんて尊敬に値しないとも。そういう気分はよく分かる。でも、このように政治を評している人の中に、自分の選挙権を放棄している人はいないのだろうか?どうせ、選挙に出向いても、政治なんか一向に変わらない、と言うような人々が、政治家の力量も見極められず、知名度が高いだとか、人気があるなどというつまらない理由で、自分の一票を棄てるかのごとくに使う。気が向かなければ、日曜日のレジャーを優先させる。こうして、民主主義とは、衆愚政治を生み出す、なんて言うような右翼主義者や排他的なエセゴマすり知識人を大量生産する。既得権を守りたいアホウな政治家が力を得る。こうなると、民主主義は死に体も同然である。政治家たちは、反対意見を尊重するという民主主義の基本的な原則を忘れ、少数派を数の力で弾圧するか、無視を決め込むことになる。

民主主義は、政治体制を激変させる政治装置ではない。大衆が政治家を選ぶ。ガチガチの組織票だけで政治家たちが選出されると、民主主義ではなく、実質的な全体主義的政治システムに同化してしまう。少数意見が尊重されないから、政治はますます民意とは別方向へ向かってしまう。現在がそういう日本の状況だ。誰の責任でもない。政治家たちを選ぶ僕たちの責任が大きい。体制とは、変わり得ないものではない。それは変わり得るし、また、そうでなければ、民主主義ではない。大切なこと。それは、僕たち選挙民たる大衆が、思想を柔軟にすることだ。そして、辛抱強く政治の行方を見極めることだ。人間社会に希望が見出せるのは、こういう理路しかないはずだ。今日の観想として、書き遺す。

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2012年1月 7日 (土)

常に<過剰>であり続けたい、と思うけれど。

年金受給者がまじかになってきた、この歳になってさえ、自分の老いを自覚出来ないでいる。こう書くと、老いの定義が難しいのだが、少なくともこうは言える。人のDNAの中に組み込まれているという、老いに関するあらゆるプログラムに対して、無意味な抵抗などはしないつもりでいる。換言すれば、若者たちの、若者であるがゆえの美しさを取り戻そうなどとは思わない。昨今の中高年、老年向けのアンチ・エイジングに関わる商品の有効性が喧伝されているけれど、そういうものにはいっこうに興味を惹かれることはない。老いを売りにしない精神性に関わる、数少ないものだけに食指が動く程度か。僕の場合、容姿について、生まれついた美的なものを一切持ち合わせてもいないので、せめて周囲の人々に対して、醜悪に見えない程度に気をつけてはいる。

さて、老いを売りにしない、老いを逃げの手に使わないという意味において、自分の中の、適度であるとか、程度をわきまえた、というような気分や感情に対して、僕は、かなり懐疑的ではある。実年齢がいくら若くても、不幸にして、何がしかの精神的・肉体的不具合を抱えている人も数多くいるのである。老いても、特段の故障がなければ、精神的も肉体的にも、<ほどほど>などという概念から常に自由でありたいものだ、と思う。こう書いたからと云って、もともと健康な心身に恵まれた人間では決してない。また、<過剰>という概念が迷宮に紛れたとき、心身は崩壊の危機に直面することだってしばしばあった。実際、僕はこれまで何度となく、そういう憂き目に遭い、無軌道な生活に身を任せたことがある。だから、ここに少しばかり書きおくことは、決して高みからの、老いを武器にした<過剰>に関する観想ではない。あくまで老年であっても、老いを意識化し得ない人間の、小さな抗いの記である。

思えば、小生意気な子どもだったし、子どもらしくない口達者な可愛げのない人間として、人生をはじめたのである。それは青年になっても、中年に至っても、現在にまで、原型としてはたいした違いはない。感受性においても、その結果の言動においても、控え目であったという記憶がない。常に僕は、あらゆる生のジャンルにおいて、過剰であり続け、過剰ゆえに常道から何度も足をすべらせた。本来ならば、カウンセラーとしてこれを書いているのではなく、定年退職前の英語教師として、書いているはずだったのである。いや、もっと遡って考えれば、そもそも僕が英語教師になっていたこと自体が、たぶん、生の軌道を外れた結果の、仕事の形態に過ぎなかったようにも思う。なぜ、こんなふうな生き方をすることになったのか、そのコア-については、分析し切れない。ただただ僕は、生きることに過剰に思い入れ、それゆえの歓びも哀しみも並ではなかった、ということを指して、過剰な生き方をしてきたのだ、と思うのである。他者に対する思い入れも並大抵でなく、相手の心の中にずんずんと踏み込んでいくような付き合いかたをしていたのである。いまにして分かるのだが、人はどれだけ親しくとも、どれだけ信頼し合っていても、踏み込まれたくはない心の領域というものがあるはずだろう。また、それはそれでよいのであって、たとえ、そうであるからと云って、互いの信頼関係にウソがあると考える方が、ある意味病的である。それなのに、僕はこれまで、相手の心の中に土足で踏み込むような関係性を強いてきた、と思う。土足で分け入りながらも、なんで踏み込まれた相手は、自分に対して同じことをせず、一方的であるのかと、ずいぶん頭を悩ませたものだ。答えはすでに明らかにしたように、簡単そのものだろう。僕と関わり合った人々にとっては、僕はたぶん、異星人のごとくに感じられただろう。人と人との関係性のあり方における本質的な、僕の側の思い違いが、いったいどれほどの人たちを傷つけてきたのだろう?人を傷つけつつ、自分もどこかで受け入れられない寂しさを勝手に感じては、傷ついていたのだから、滑稽というほかないのである。

さて、僕はこれから先の、長くはない人生の中で、決して分け入ってはならないことにも自覚的になりながら、それでもやはり人に対する、あるいは事象に対する<過剰>なものの見方をするのだろう、と思う。そうしなければ、たぶん僕という人間は生きてはいけないような気がするからだ。タチの悪い開き直りなのだろうが、やはり、僕は過剰を生き抜いていこうと決意しているのである。そこそこに生きるような老いならば、老いそのものを拒否したき気分である。無論、これまでのような踏み外し方はしないつもり。出来ることなら、少しだけソフィスティケイトされた過剰を生きる。今日の観想として、書き遺す。

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